新連載記事 開幕!
地球は広い。それゆえに衛星写真がある今現在でも地球上に何が存在するか全てを認知することは一般人には計り知れないことである。
しかし人間は知的好奇心を持つ生き物。知るためにはどんな場所だって行くことを望む。
だがその全てを知るために地球全てを練歩こうとしてもそれは叶わぬ夢だ。
なぜなら地球上には立ち入れない区域が存在している。
なぜ立ち入ってはいけないのか?そこには何が存在するか。
禁止・規制区域を立入ろうとする生贄達に捧げる、
この連載記事を通して明らかにしていく。
国境地帯がなぜ立ち入りが禁止されたゾーンとして存在するのか
今回は島国の日本に馴染みのない”国境として立ち入りが困難となった地域”を紹介していく。
世の中には緩衝地帯という地域が存在する。
これは立ち入りなどが制限された地域を挟むことで2カ国間の衝突を緩和することを目的とした地域のことだ。
さらに他にも「非承認の軍事基地」や「歴史の記念として残された国境」など世界には様々な”謎”がある。
さて、このような立ち入りが難しい特殊な地域をこれから8つほど見ていこう。
【アメリカ・キューバ】グアンタナモ米軍基地
今も”唯一の社会主義国で維持されたこの米軍基地”であるグアンタナモ米軍基地は敵対し続けてきたキューバにある。
キューバは”不法占拠”と見なし、返還が要求されている米国の永久租借地だ。
侵入を防ぐ”予防措置”として周囲は地雷原とウチワサボテンの障壁に覆われている。
また、ここではアメリカの土地でもキューバの土地でもないグレーゾーンの状態を利用してテロ実行者のような”大物”を中心に集められた収容処が存在する。
現地の適切なプロセスを踏んで、基地司令官からの最終承認が立ち入り前には必要となる。
なお、宿泊施設も制限されている為、訪問期間中は、住居の承認を示す保証も入用だ。
詳細はこの記事で紹介している。
【韓国・北朝鮮】朝鮮半島の軍事境界線
朝鮮戦争の休戦協定が設けられたことで、軍事活動の行われない非武装地帯(DMZ:demilitarized zone)が設置された。
東西に長さ250km, そして幅4kmに伸びた国境地帯では、しばしば国境地帯間の対峙がある。
1953年から1999年までに、500人の韓国兵、250人の北朝鮮兵、50人の米国兵が殺害されている。
非武装地帯は両国がパトロールすることを許されるが、国境は軍事境界線(MDL:Military Demarcation Line)としても機能している為に越えることは決して許されていない。(厳密には、南側では厳格に定められた観光用ルートのみ、手続きのあと入域可能な部分が存在する。)
上の画像を見ると分かるように4つのトンネルが国境地帯には存在している。下記の数字は発見日だ。北朝鮮は石炭採掘用のトンネルであると主張しているが、トンネルは黒く塗られているだけで石炭は発見されなかったことから、侵入用であると見做されている。
韓国側は壁、一方北朝鮮は電気柵と地雷の設置により侵入を防いでいる。
北方国境線
北朝鮮と韓国では、海上の国境として北方国境線(NLL:Northern Limit Line)を敷いている。争われている軍事統制線であり、事実上の海上境界線として機能している。軍事境界線から海上へと伸びている部分が国境地帯として伸びている。
北朝鮮は公式にこの国境を公式に認めておらず、海上軍事境界線を別に宣言している。
そのためしばしば国境を越えて運航していた為に、砲撃事件や海戦が多発していた。
2018年、板門店宣言によりこの一帯を平和水域として規定された。
漢江
軍事境界線を流れる川”漢江”、その河口の一部は民間人の船舶の航行を制限されている。
【中国・香港】香港辺境禁区
香港と中国の境界には、住民以外の立ち入りが禁じられた4km²区域が存在しており、緩衝地帯として機能している。
境界には深圳河が流れており、国境付近を走る道路は国境道路として通り抜けている。
国境道路はパトロール以外で使用されることはない。
昨今になって縮小されたこの地帯はこれまでは28km²の規模で立ち入りが規制されていた。
2006年に8km²に削減される計画が発表されていた。そしていよいよ2016年に4km²に狭まったという。
【南キプロス・北キプロス】グリーンライン
キプロス島では、南部はギリシャ住民が支配している一方北部ではトルコ系住民が支配している。その衝突防止の為に、一帯は停戦ラインが敷かれている。
180kmに伸びていて、緩衝地帯の横断は2003年まで厳重に制限されていた。
緩衝地帯には首都であるニコシアも含まれており、その一部は廃墟都市と化している。
1996年には北キプロスに対するデモ行進があり、その際トルコ旗を取ろうとするギリシャ人を射殺する事件も発生した。
国境地帯内には4つの村が存在している。
・Pyla
・Deneia
・Athienou
・Troulloi
中でもPylaはトルコ系住民とギリシャ系住民が共に過ごす唯一の集落として知られており、国連平和維持軍がパトロールしている。
トルコ系キプロス政権は2003年4月に境界線を越える制限を大幅に緩和した。
現在ではどの国の市民もPylaなどの一部の地域を除いて境界線を越えることは許されている。
しかし、大幅な緩和は北部から”政府管理地域への体系的な違法ルートの構築”が亡命希望者の流入を許す状態に繋がってしまっている。
【モロッコ・ポリサリオ戦線】砂の壁
西サハラの6つに分けられて2700kmにも及ぶ障壁は西サハラとモロッコ南西部を通り抜けている。
名前の通り、サハラ砂漠の砂でできていて、侵入を防ぐフェンスや世界最大の地雷原により守られている。
6つの壁は下記の通りである。
- 1st wall (1980年8月–1982年6月): 500 km
- 2nd wall (1983年12月–1984年1月): 300 km
- 3rd wall (1984年4月–1984年5月): 320 km
- 4th wall (1984年12月–1985年1月): 380 km
- 5th wall (1985 5月–12月): 670 km
- 6th wall (1987 2月–4月 ): 550 km
目的は西サハラ独立をめぐるポリサリオ戦線の遊撃を避けるためである。
周囲の要塞ではまばらに人が住んでいる地域も存在する。そのほとんどは壁の両側に位置する難民キャンプで30000〜40000人暮らしている。
2005年にはモロッコ軍が本格的に難民の追放を始め、砂漠に置き去りにされた数十人はポリサリオ戦線や国際連合西サハラ住民投票ミッション(MINURSO)によって救助された他、10人は保護される前に死亡した。
また、地雷原により多くの民間人は死傷した。
2008年以来、砂の壁の取り壊しを求めて、多くの難民や人権活動家によってデモが行われている。
交戦は1991年に公的に終了した。
しかし依然としてレーダーなどの監視機器、モロッコ軍により厳重に管理されている。
【アメリカ・カナダ】国境並木道
画像の不自然に続く並木道はカナダとアメリカの国境に位置する2171kmにも及ぶ幅6mの国境地域だ。
これは明確な国境を位置付けることを目的に公的に用いられてきたものだが、元々は非公式に、
19世紀の不正確な測量の末に作られたもので、場所によっては実際の国境とは数十メートルずれている。
そのため、現在となってはただの記念であり、条約で意図されるものではない。
だが、正式な許可なく横断することは現在でも禁じられており、米国税関・国境警備局(CBP)による警備が続いている。
参考資料
グアンタナモ米軍基地の資料
米軍の地雷原除去(英語)
朝鮮半島軍事境界線の資料
軍事境界線で起きた事件の詳細(英語)
香港辺境禁区の資料
香港辺境禁区の最近(中国語)
グリーンラインの資料
グリーンラインの詳細(英語)
砂の壁の資料
砂の壁の詳細(英語)
砂の壁の詳細(英語)
難民の追放(スペイン語)